東京デモクラシー 1

「えるしってるか。私は特殊メイクをしていない」

甘いお菓子の空き袋が散乱したデスク。ひっきりなしに流し込むカフェイン。疲労しないようにバロンチェアを買って、だけど、私はその上に体育座りをして、パソコンのワードファイルを一心不乱に見つめていました。

デスノートという映画があったよね。私はまるでエルのようでした。エルと違うことが一つあって、それは私が特殊メイクをしていなかったこと。スッピンなのに、目の周りを黒くして、事務所から送られてきた曲を何度も何度もリピートしながら、チョコレートを貪りながら、ネット辞書を引きながら、私は歌詞を書いていました。働きながら、多い月には二日に一つ書いていた。どうしても書きたいアーティストの作曲の締め切りと重なることもあって、そんな時には締め切り後に寝込む覚悟でした。朝はベッドから起き上がるのではなく、まず、板張りの床に転げ落ちる。床に寝ているのが、寒くて苦痛だと感じるまで、屍のように床に落ちたままでいる。寒い冬の日には10分もすれば床の冷たさが本物の死を感じさせてくれるので、屍のまま起き上がれます。コンシーラをまぶたの下のくまに塗りこみ、カバー力の高いファンデーションを塗り出社。またパソコンの画面を見る仕事をして、目の奥はいつもガンガンと痛かった。恐ろしいので、一日に摂った糖分やカロリーは計算しないようにしていたし、夜中までアップテンポの曲を聴いた日はカフェインの効果も相まって寝付けなかった。明け方にやっと眠りが訪れ、毎朝、起きられないくらい辛かった。だけど、残念なことに、職場で倒れないくらいには生命を維持していました。倒れたらいいのにと思っていた。いっそ、意識が無くなればいいのに、と思っていた。今考えると、これ、立派な不幸の形の一つです。ぷ。

そんな私を支えていたのは、過去に読んだ言葉たちでした。10代20代と、私は、節操無く、手当たり次第、なんでも読む人でした。活字中毒だった。歌詞を書きながら、時間に追われ、溺れて藁をも掴むような状態の私を昔の言葉たちが助けに来てくれた。アドレナリンがドバドバと放出される締め切り三分前に、メロディを聴いてると、ふいに長いセンテンスが脳裏に浮かび、ぴったりとメロディに当てはまることがあった。いつか読んだあの言葉が、この言葉が、脳のどこかから引っ張り出されてきて、メロディに寄り添ってくれた。控えめに書いても、これはなかなかに面白いものです。書きあがった歌詞を見て、自分が行ったことではないような気分になるのは、悪くない。自分が不幸の坂をものすごい勢いで転がり落ちていても、どこか魅力のある作業でした。

「瀕死のリリック」

そんな風にして、綱渡りみたいに、半ばパズルを解くように歌詞を書き、マーケティングの知識を駆使して、だけど、直、限界が来ました。やはり、自分はなにも伝えるべきことを持っていないと思った。いや、伝えたいことはあったけど、伝えたいことなんてのは、死ぬまで胸に閉じ込めておくものなのだろうと考えていました。そうでしょ?だって、日本人だもの。苦しくても、苦しくても、また、どんなに優しい気持ちになっても、打ち明けたいことなんてのは胸のうちに秘めておくのが日本人です。規律とルールを守って、経済を志し、みんなと同じように暮らすのです。ずっとそんなことを続けている日本では、消費の為だけに存在するようになってしまった言葉たちが、いつも息苦しいと訴えているような気がしていました。だけど、みんな見てみぬ振りをしている。私も息苦しかったけど、自分を救い出すことより、みんなと同じことをするのが優先でした。私も見て見ぬ振りをした。第一、そんな切実な気持ちを打ち明けるような歌詞を乗せる曲は、事務所から送られてきません。思い返すと、言葉の消費に加担してこれ以上言葉を殺したくない気持ちも、私の中にある種の抵抗を生んでいて、私は余計に疲弊していたように思います。

ある日、有名な歌番組で私の書いた歌詞がテロップ入りで流れ、私はショックを受けました。この歌詞が、視聴率の高いこの番組で放送されるべきだったのか、私にはさっぱりわからなかった。短時間で効率よく、上手くできた歌詞だったと思っていたし、マーケットは明確に押さえていたし、言葉の音もセンスよくはまっていたし、自画自賛しますが、奇跡のように解けたパズルの美しさもあった。職業作家としては、上出来だと思っていました。採用され、放送されたことで、達成感だってあった。だけど、やっぱり私にはわからなかった。この歌詞が、見目麗しい女性の訓練されたパフォーマンスに乗せてたくさんの家庭に届けられた。・・・で?・・・So what?

次に私が取った行動が、また振るっている。私はショックに気が付かない振りで「嬉しかった」とブログを書き、寝てしまったのです。体を酷使してまでやるべきことだったのか、その時点でよくわからなくなっていたけど、自分の中でやっと細く繋がっていた糸が確かにぷっつりと切れてしまったけど、それにも無視を決め込んで、私は次の日も、その次の日も、走り続けるつもりだった。気が付かない振りをしたら、無視したら、自分の言葉が、前にも増して死んでいくことに薄々勘付きながら、「みんなと同じ」ように「今までと同じように」暮らすことが私をがんじがらめに縛り付けていました。

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